さる7月4日(現地時間)、忠清南道の公州&扶余、全羅北道の益山の百済歴史遺跡区が、ユネスコの世界文化遺産に登録されましたね。
百済歴史遺跡区は韓国で12番目の世界遺産。
百済遺跡は、さまざまな地域に分散していたためにこれまで一貫性を持って総合整備事業がなされていなかったのですが、今年2015年3月に文化財庁傘下に設置された「百済王都核心遺跡復元整備準備団」が、復元・整備事業総合計画を樹立。
今後、文化財庁と5つの地方自治体は、百済王都の本来の姿を最大限に復元させ、世界的な歴史都市にする計画なのだそうです。ふーむ。
高句麗や新羅に比べると、注目度が低かった扶余の遺跡ですが、いよいよ観光地としても注目されていくのでしょうね。あの広くてのんびりとした雰囲気はそのままでいてほしいですが。
今回登録された百済歴史遺跡区は、以下のとおり。
忠清南道
●公州公山城(コンサンソン)
松山里(ソンサンニ)古墳群
●扶余
官北里(クァンブクリ)遺跡および扶蘇(プソ)山城
陵山里(ヌンサンリ)古墳群
定林寺(チョンニムサ)跡
羅城(ナソン)
全羅北道
●益山市
王宮里(ワングンニ)遺跡
弥勒寺(ミルクサ)跡
百済第30代武王(在位600-641年)時に建立された韓国最古の石塔(国宝第11号)
委員会は「首都立地の選定を通じて百済の歴史が分かり、仏教寺刹を通じては来世観と宗教を、城郭と建築物の下部構造を通じて独特の建築技術
を調べることができることは、優れた百済文化と歴史の証拠」と評価した。
また、「百済には中国と韓国、日本へとつながる文化交流の証拠があり、都市の発達に関し卓越した空間構成を立証したのが登録理由の1つ」とも説明されています。
(ソース リンク元)韓国経済新聞/中央日報日本語版]
百済の旅・忠清南道周遊 3日間 ≪現地発着ツアー≫
★日本の飛鳥時代の文物にも大きな影響を与えた「百済」。その故地・忠清南道(チュンチョンナムド)は、韓国中部(朝鮮半島中西部よりやや南)に位置し、今も百済時代(346~660年)の古建物と遺跡が残り、仏教文化が花開いたかつての栄華を訪れる人々に伝えています。
★かつて高句麗に都を追われた百済は、当時熊津と呼ばれた公州(コンジュ)に都を遷し、その後3代60年にわたって都としました。
北には大河・錦江(白馬江)流れ、多くの遺跡が古都の趣を今も残しています。また、123年にわたり栄華を極めた百済王朝最後の都「扶余(プヨ)」も、今では静かな田舎町として時を刻んでいます。日本文化のふるさと「百済」の故地・忠清南道で歴史を感じる旅をお楽しみください。
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