2014年8月23日土曜日

慶州・新羅焼から史等伊焼そして対馬へ✻古代から続く日韓交隣の道を訪ねる

慶州・新羅焼から史等伊焼そして対馬へ✻インストラクター鳥羽克昌先生と共に古代から続く日韓交隣の道を訪ねる~★第3回韓国陶磁器紀行は、三国時代から統一新羅時代にかけて作られた新羅土器を元に、近年新たに焼かれるようになった史等伊焼をメインに韓国南東部の蔚山・釜山そして対馬まで、古代から続く日本と韓国の交流の歴史を焼物を通して旅します。


 ----------新羅焼<しらぎやき>----------

1000年以上前、三国時代から統一新羅時代にかけて現在の慶州の他、釜山近郊の東莱、金海、熊川[昌原]で数多く焼かれたもののこと。新羅陶器とも言う。

製法は中国から伝わり、ろくろにて成形した後、登り窯を使って1000度以上の高温で焼かれました。

この新羅焼はその当時の遺跡から大量に発掘されていますが、対馬、壱岐、九州北部の弥生時代の遺跡からも出土しています。




旅のインストラクター!

 鳥羽克昌<とばよしまさ>先生

陶芸家。
1927年生まれの今年85歳ですが、毎年個展を開かれるなど積極的に活動されています。

先生と新羅焼の出会いは約30年前の1982年に新羅焼の第一人者・崔且蘭先生の窯に入門されたことがきっかけです。


 -崔且蘭女史と史等伊窯について-

韓国慶尚北道慶州市外、名刹仏国寺に近い吐含山麓に崔且蘭女史の史等伊窯がある。

史等伊とは新羅時代の古語で、史は東、等は峠をあらわし、日が昇る明るい所を意味するそうである。

私が崔女史と知り合ったのは十数年前、まだ彼女が慶州駅前のメインストリートで、古美術と観光土産物を扱う大きな店を開いている頃だった。

ある日、彼女は突然店を他人に譲って現在の地に登り窯と陶房を作って移り住んでしまった。

それも齢五十に近づいてからである。先祖に窯元がいたという話だが、彼女自身みずから作陶するのは初めてで、それこそ寝食を忘れて仕事に没頭し、試行錯誤を重ねた末に史等伊焼が生み出される様になったのである。 ◆那須野窯辺雑話内 陶説 平成元年八月号 -鳥羽克昌



慶州雁鴨池で出土した新羅土器。 9世紀。国立慶州博物館所蔵。

【第3回 韓国陶磁器紀行】


新羅土器は韓国のみならず九州北部の遺跡からも出土しています。以後、現在に至るまで、この地域は千年以上にわたり両国の交流そして往来の場になってきました。

慶州では本ツアーのインストラクター・鳥羽克昌先生の古くからの友人で史等伊窯の崔且蘭女史を訪ね、窯や作品の見学、そして陶芸体験も行います。

蔚山では韓国の家庭で欠かせないキムチやコチュジャンを入れる甕器を製造している村を訪れます。

釜山そして対馬では朝鮮通信使を中心に日韓両国における交流の歴史を訪ね歩きます。

5日間の旅行中、一度日本に帰国、再入国するという珍しいツアーでもあります。また、対馬を訪れない4日間コースも設定しております。この機会に千年以上及ぶ古の歴史と文化にふれて見てはいかがでしょうか。

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