2013年4月13日土曜日

★三進トラベル15周年記念第2弾★【金曜夜発・週末ソウル!明洞ロッテに泊まる・世界遺産と『イサン』『トンイ』を巡る3日間】

三進トラベルサービス創業15周年を記念して、皆様にご提供する第1弾! 金曜の夜出発の週末ソウル3日間。お泊まりはロッテホテル本館です。2日目は日本でも話題になった韓国歴史ドラマ『イサン』『トンイ』の縁の地を訪ね、カルビ発祥の地・水原ではワンカルビ定食をお召し上がり頂きます。3日目は夕刻便ですので一日、ソウルでのフリータイムをお楽しみ頂けます。デラックスホテルに泊まり、歴史遺産を観光して、美味しいワンカルビ定食も召し上がる週末を利用したコンパクトで盛りだくさんのツアーです。


【ツアーポイント】
≪出発日≫ 2013年4月19日(金)から6月28日(金)まで毎週金曜日出発<※4月26日(金)・5月3日(金)は除く> 
≪期 間≫ 2泊3日 
≪出発地≫ 羽田・関西 
 
★週末利用★ 金曜夜の出発、日曜夜のお帰り。会社を休まず韓国をエンジョイ! 
★泊まる★   ロッテホテルソウルの本館にご宿泊 
★観る★    ユネスコ世界遺産・水原華城をはじめ韓国ドラマ『イサン』『トンイ』ゆかりの地を訪ねます。 
★味わう★   カルビ発祥の地・水原でワンカルビ定食をお召し上がり。 
★自由な時間★3日目は終日ソウルフリータイム。どうぞお時間を有効利用して下さい! 
 
▓▓▓▓▓水原華城▓▓▓▓▓  
水原(スウォン)華城(ファソン)は京畿道水原市に築造された朝鮮時代(1392-1910)後期の城。水原城の築城は、朝鮮第22代正祖18年の1794年に着工し、1796年に完工しました。父・荘獻世子に対する孝心と経済力を備えた新都市を建設しようとしたものです。  
水原華城城壁の全体の長さは5.52Kmで、ほかの城では見られない多彩で多くの軍事施設があります。城壁の上には、体を隠して敵を監視して攻撃できるように女墻(胸壁)を設け、女墻にはいくつもの銃穴が空けてあります。東西南北四方向に城門を設けていて、北門が長安門、南門は八達門、東側の蒼龍門、西側には華西門があります。また、水原城内には小川が流れていますが、小川と城壁が交差する所に水門が設置されています。水門は7連のアーチ橋で構成されており、その上には華虹門という楼閣が建てられています。  
華城は実学者と呼ばれる柳馨遠(1622-1673)と丁若鏞(1762-1836)の意見を参考にして設計の基本指針としましたが、韓国の城郭の中で科学的に最も優れていると評価されています。特に城郭の築城に石材と煉瓦を併用したことと、矢と槍を防御しつつ銃砲を撃つことができる構造が大変優れているとされています。  
これまで長い年月の間、城郭がかなり損傷を受け、韓国戦争の動乱を通して多くの施設が破損していました。1975年から1979年までに八達門から東南角楼までの491m区間を除く一部が復元されています。 水原華城は1963年1月に史跡第3号に指定され、1997年12月には昌徳宮とともにユネスコ世界文化遺産に登録されました。  
 
▓▓▓▓▓ 隆陵▓▓▓▓▓  
隆陵は朝鮮第22代正祖の父である莊祖(1735-1762)とその妃、獻敬王后(1735-1815)洪氏の合葬陵です。莊祖は朝鮮21代英祖の2番目の息子であり、1736年(英祖12年)に皇太子となりました。さまざまな方面において皇太子としての優れた面貌を備えていましたが、1762年に父・英祖の命令で米びつの中に監禁され亡くなりました。莊祖の陵は元は京畿道楊州郡拜峰山にありましたが、彼の息子・正祖が即位すると華城の華山に移し顯隆園としました。後に莊祖として追尊され現在の位置に墓を移した後、陵号(墓の名前)を隆陵としました。  
獻敬王后は1744年に皇太子の妻となりました。夫が非業の死を遂げた後、還暦を迎えた1795年、甥・洪守栄の願いで莊祖の惨事を中心にした自伝的回顧録「閑中錄」を残しました。資料的価値の高い「閑中錄」は「仁顯王后伝」とともに宮中文学の双へきを成しています。  
京畿道華城市安寧洞にある隆陵は、皇太子の墓である本来の形式に木蓮と蓮の模様を刻んだ屛風石を設置し、上界空間と下界空間に分けて空間を王陵のように作りました。上界には陵、魂遊石(魂が出てきて遊ぶようにした石という意味で、王陵の封墳の前に置かれた四角形の石)、 望柱石(墓の前の両側に造られた一対の石柱)が配置されており、下界には文人石(長明燈の左右にある文官の形をした石)、石馬(石で造った馬)が配置されています。  
 
▓▓▓▓▓ 健陵▓▓▓▓▓  
健陵は正祖(在位:1776-1800, 1752-1800)と彼の妃の孝懿王后(1753-1821)金氏の墓です。正祖の遺言に従い父の陵である隆陵から近い場所に安葬されました。莊祖と獻敬王后(惠慶宮 洪氏)の2番目の息子であり、1959年(英祖35年)、8歳で皇太子の長男となりました。党争の渦の中王位についた正祖は、在位24年の間蕩平策(党争の弊害をなくすために各党派で人材を登用した政策)を実施して国を治め、王室の図書館である奎章閣を設置し、学問の研究に大きな業績を残しました。  
彼の妃である孝懿王后は金時黙の娘で1762年、10歳で皇太子の長男の妻になりました。1776年に正祖が即位し王妃となりました。一生をつつましく暮らし、1821年(純祖21年)に昌慶宮慈慶殿にて69歳でなくなりました。  
健陵は合葬陵で隆陵の例に従いましたが、屛風石(封墳を保護するために 封墳の下の部分を囲んだ石)を巡らせた点を除けばほとんど隆陵の構成と似ています。 健陵や隆陵とともに同一史跡に指定されました。  
 
▓▓▓▓▓ロッテホテルソウル本館▓▓▓▓▓  
ソウルの中心、小公洞にあるロッテホテルソウルは、1,479の客室、13のレストランとバー、 16の大型国際会議場及び宴会場、ビジネスマンのためのクラブフロアー、東洋一の免税店、フィットネスクラブなど様々な施設を備えた、韓国を代表する特級ホテルです。 
 
『水原ワンカルビ』 
昔、王様が庶民一家に一頭、牛を下賜しました。民はそれを大切に育てました。牛は農耕の為に使っていましたが、やがて牛がたくさんになったので、牛肉を食べる事が出来ました。これが水原のワンカルビの事はじめです。「ワン」とは王という意味です。

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